祀界の霄と龍の唱
第一話
(空、青いなぁ)
春の青空を見上げながら、亜杜は小さくため息を吐いた。
高楼に泊まって三日。今日、自分の進退が決まるのだ。
なんでこんなことになったのか亜杜には全く理解できないのだが、それでもこんな大それたところから一刻も早く帰りたい、というのが亜杜の素直な本音だった。
毎年やってくる春の大市の出店申し込みに初めて受かり、大市の広場で初出店したまでは良かった。
しかし売れますようにと奉納した紙がいけなかったのかは知らないが、その夜衛兵が静かに宿にやってきた。
驚く主人と女将さんの間から、他人事のようにその様子を見ていた亜杜と従兄の翠蓮に視線が集まった時、兵たちが誰を探していたのか知ることになる。
「あんたら、紙を売っていた者だね?」
「え? は、はい」
この質問に、素直に是と答えたのがいけなかった。
この時、いいえ、と答えていればこんなことにはならなかったのに、と後悔してももう遅い。
連れて来られたのはこの国の首都、祀都にある中央の建物の中だった。
一見質素に見える中あって、見る人が見れば一目でわかる最高級品で作られた床や壁、天井を見上げて従兄と二人で歩いていると、開けたところに出た時、同じように二人より前に集められた造紙職人たちがいるのが見えた。
しかも後から続々と兵たちに先導されて人が、正確には造紙職人や関係者たちが集められてくる。
中には、大市の初日に紹介された紙売り問屋の主人まで居た。
「何かあったのかな?」
「さぁね」
小声で話しかけた亜杜は翠蓮に
「ここに龍の人たちがいるんだよね」
と確認する。
「あぁ。しかもこんな時間にこれだけ集められるとしたら、龍絡みだろうね」
「龍絡み……なんだか恐れ多いんだけど」
「言うな。俺だってそう思ってんだから」
「分かってるよ」
高楼に呼ばれた時点で龍絡みだと予想できるが、それが良いことか悪いことかは亜杜には判断できない。
ただ不安な時間だけが過ぎていく。
そして亜杜はここが単なる広間ではなく、よく見れば台の上に椅子が鎮座している、いわゆる謁見の間のような場所であることに気づいた。
やがて造紙職人や関係者、三・四十人ほどが集まった頃、兵士の声が広間に響いた。
「この度、こんな時間に集まってもらったのは悪かった。だが龍族様が早急にとのお達しなのでな」
龍族様と聞いて、集まった皆の顔に緊張が宿る。
龍に対し、何かしたのだろうかと不安がるもの、御用達になるのではないかと顔を輝かせるもの様々だが、亜杜は前者だった。
「す、翠兄ぃ。俺たち何かしたかな」
不安げに翠蓮の服の袖を握る。
「さぁね」
素っ気ない返事に亜杜が反論しようとした時、兵の声が響く。
「これからあなた方にはとある龍の方に会っていいただきます。座る場所はこちらから指示するので、そこに座って顔を伏せるように。そして、名前を呼ばれたら顔を上げるように」
顔を伏せて龍に会う。
それがどれだけの緊張を平民に走らせるのか、兵はわかってるのだろうか。
もちろん初歩的な龍に対する所作や礼儀は、この国の義務教育である程度教えられるから誰もが知っている。だがほとんどの人は一生使うことはないだろうと思われる。そんな状況だ。
次々に名前を呼ばれ、一人づつ膝を折り頭を下げる。
亜杜も名前を呼ばれ、膝を折った。
何分くらい待っただろう。
その間、必死で作法のことを思い出していると、謁見の間の向こうから大勢の足音が聞こえてきた。
(そんなに?)
全員が龍だと勘違いした亜杜は、そんなことを思った。
やがてその大勢の中から一人が歩みを進め、ゆっくりと席に着いたのを確認してから、兵が「では始めます」と宣言し、名前が順番に呼ばれていく。
先に翠蓮が呼ばれ、ドキドキしていると自分の番がやってきた。
「亜杜=綾鉛」
「はい!」
謁見の間に亜杜の声だけが響く。
一瞬椅子に座る龍族と目が合った気がしたが、次の瞬間に亜杜は頭を下げ、視線を床に落としていた。
そんな緊張した謁見は何事もなく終わり、龍が席を立って足音が完全に消えた頃、解散となった 。
一体なんだったんだろうと亜杜は思った。
「翠兄ぃ。龍族さまの顔、見た?」
緊張の解けた亜杜が帰り際、翠蓮に聞いた。
「一瞬だけな」
「どうだった?」
「うーん。なんていうか、金の髪が神々しかった。って、亜杜も見ただろ?」
「俺はすぐ視線逸らしたから、見てないよ」
「そうか。じゃ、宿に戻ろうぜ。もう休みたい」
「だね」
そうして、その日は終わったのだ。
翌日、大市の最終日に予想外のことが起きた。
撤収予定の昼の時間帯に、亜杜たちは三人の兵たちに取り囲まれていたのだ。
「す、翠兄ぃ」
怯える亜杜に対して、翠蓮が毅然とした態度で対応していた。
「すみません。撤収するまで、待っていただけますか?」
「早くしろとのお達しだが、まぁいいだろ」
「ありがとうございます」
渋る兵たちに撤収するまで待ってもらい、売上の入った財布と売れ残った紙、持ってきた着替えなどを持ってついて歩く。
中央の建物の中に向かって歩いていたところで、亜杜が気づいた。
「翠兄ぃ……」
「言うな。俺だって訳わかんねぇんだから」
「ごめん」
昨日といい今日といい、取り巻く状況が変だ。
その異様な状態に亜杜は怯え、翠蓮の服の端を思わず握り込む。
昨日と同じ豪華な通路を通り、謁見の間に足を踏み入れる。
そこには昨日と違い、椅子が二つ置いてあった。だがその椅子を前にして、二人は固まった。
椅子の背もたれ部分の細工が細かくキラキラと輝いており、とても平民が座れるような椅子ではなかったからだ。
亜杜がギュッと今度は自分の服の裾をつかむ。
(何なんだ、一体)
半ば呆然として二人で立ち尽くしていると、広間の向こうから昨日と同じく大勢の人がやってくる。
「どうして座っておられないのだ」
そんな鋭い声が広間に響く。
ビクリと体を震わせる亜杜と翠蓮と、それに反応した連れてきた兵士。
「申し訳ございません! 天覧様」
「まぁ良い。ささ、龍族さま」
天覧と呼ばれた中年の男に先を譲られ、人垣の中から現れた、昨日チラリと見た龍族が前に出てくる。
そして、一直線に歩いて来た龍族に捕まったのは、翠蓮に隠れるように立っていた亜杜だった。
「そなた、名は何と言う」
「え?」
「名を…いや、失礼だったな。私はディアン。龍族だ」
「いや……あの……」
龍族に両肩を掴まれて亜杜の頭の中は真っ白になった。
正直、平民には遠い存在である龍という一族が、なぜか目の前にいることに亜杜の頭は驚きを通り越して思考停止している。
「お主、名は何というのだ?」
「あ……」
「あ?」
「亜……杜……」
「あ…ず? アズか!」
名前を聞いた瞬間、膝から崩れ落ちた龍族のディアンに周囲の人がザワリとするが、それを
「いや、大事ない」
の一言で押さえ込んで、再び亜杜に向き直ると、亜杜は立ったまま気を失っていた。
アトガキ
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